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タティア・メマルニシヴィリさん ―日本語教育と翻訳がいきがいになっていたー

【プロフィール】日本語講師 / 翻訳者。2007年にトビリシアジア・アフリカ研究所(Tbilisi Institute of Asia and Africa)にて東洋文献学を修了。日本語・日本文化も勉強し、2009年からトビリシ国立大学(Tbilisi State University)にて日本語講師として勤務。学生時代に日本文学に魅了され、特に谷崎潤一郎と川端康成の作品に惹かれた。最初に翻訳した本は三島由紀夫の『仮面の告白』で、2019年に文学賞「リテラ」のファイナリストに選出。――日本語を勉強しようと思ったきっかけはなんですか?いつごろから日本語を勉強し始めましたか?タティア・メマルニシヴィリさん :実はもともと日本に特別な関心があったわけではありませんでした。ジャーナリストになりたかったため、東洋文献学を学ぶためトビリシアジア・アフリカ研究所(Tbilisi Institute of Asia and Africa)に入った際に、ジャーナリズムや言語学の授業の他にアジアの言語を選択する必要がありました。勉強する言語のリストがあり中国語、韓国語、アラビア語、ペルシア語などが選択肢に.....
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保護中: 碓井俊樹さん~アザラシヴィリさんとジョージアの繋がり~

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稲場マリアムさん~大学院留学中に出会った日本人と結婚、日本でキャリアを積んで娘を授かり、京都を中心にジョージアのPRをする~

【プロフィール】 京都在住。文部科学省プログラムで同志社大学へ留学。高台寺での巫女の仕事や大阪のジョージア料理レストラン、京都経済センターなどでキャリアを積む。その間に日本人男性と結婚し、娘モアナさんも授かる。――日本語を学習するきっかけはなんでしたか?MEXT(文部科学省の留学プログラム)で同志社大学に留学をされましたが、留学試験はどうでしたか?稲場マリアムさん:4年間、トビリシ自由大学で日本語を主専攻として学習していました。卒業した後に、1年ほど中古車を扱う会社で仕事をしていました。日本から中古車を購入し、私が車の状態などを調べたりしていました。そのあとに、MEXT研究生プログラムに挑戦しようと思いました。日本語と英語の試験、また面接などがありました。面接では緊張しましたが、自信をもって答えることができたと思います。無事合格し、3年間日本へ留学行くことが決まりました。当時は、留学先として希望する大学院には自分で書類を送る必要があったのですが、できるだけ多くの大学院に送っていたのを覚えています。その内、5つの大学院から返答があり、留学先となる同志社大学からも返事がありました。実は東京.....
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はらだ たけひでさん・ジョージア映画祭主宰 ~ピロスマニをきっかけに知ったジョージアの人々が持つジョージア文化への愛情をジョージア映画祭を通じて伝える~

【プロフィール】 ジョージア映画祭主宰。絵本作家。1974年から約45年間、東京・岩波ホールで世界の名作映画の上映に携わる。『グルジア映画への旅』、『放浪の画家ニコ・ピロスマニ』、『放浪の聖画家ピロスマニ』などを著作。2022年にジョージア政府から文化功労賞が授与。―― ジョージア映画に関心を持たれたきっかけはなんですか?はらだ たけひでさん: 1974年の暮れから2019年2月に定年退職するまで、2022年7月末に閉館してもうなくなってしまった岩波ホールという映画館で仕事をしていました。岩波ホールでは世界60か国の名作映画を発掘、上映するという仕事に携わりました。僕が仕事を始めたその時代は、カウンターカルチャーが日本を含め世界で盛んでした。また七十年安保闘争もありましたので、大学もほとんど閉鎖状態で、学校へもほとんど行かず自分で勉強しようと様々なところへ自分で行き経験を積むようにしていました。僕が、岩波ホールに入ったのは20歳のときでした。当時は岩波ホールの草創期でしたので、非常に忙しく一生懸命に映画の紹介を中心に仕事をしていました。僕は、あちこち放浪したり、絵を描いたりすることが好.....
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児島康宏さん・ジョージア語翻訳家 ~ジョージアと関わり約30年、翻訳を通してジョージア文化を紹介したい~

【プロフィール】児島康宏(こじま・やすひろ) トビリシ在住。 東京大学卒(言語学)。日本学術振興会特別研究員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所特任研究員、在ジョージア日本国大使館専門調査員などを務める。ジョージア映画祭では、映画の翻訳・字幕作成を手がける。―― 最初にジョージアに興味を持ったきっかけは何でしたか?児島康宏さん:ジョージアとジョージア語に興味を持ち始めたのが大学3年生の時でした。東京大学では1年と2年の時が教養学科で3年生になるときに専門学科に入るのですが、以前から興味があった言語学科に入って、色々な授業を受けているうちにコーカサス諸語やジョージア語などの話を聞くことがありました。あと、チェコ語の専門家の千野栄一先生の言語学に関するエッセイの中で、ジョージア語に関してもよく取り上げられていました。こういったものの影響が大きかったですね。―― 大学3年生の時からご関心を持たれるようになったのですね。児島康宏さん:大学4年生になって卒論を書くことになるんですが、ジョージア語を勉強しようと思い4年生になった春休みのときに、アロンソン(Howard Aronson) .....