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保護中: 前田弘毅さんー様々な文明の堺に位するジョージアの、世界に通用する研究を行うー

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蒲原正義さんーお互いの国の魅力を発信し文化を体験することで両国関係はより強くなるー

【プロフィール】元駐ジョージア(当時グルジア)日本国特命全権大使(2009年3月-2012年9月)。その後、カザフスタンでも大使として勤務したのち退官。―― ジョージアを初めて訪問された際の印象は何でしたか?蒲原正義さん:大使として赴任する前に、東京とモスクワからそれぞれ1回ずつジョージアに出張に行きました。1985年に初めて行ったとき、ソ連の時代でしたが、豊かな国だなと思いました。市場を覗けば様々な食べ物があるし、気候は良いし、人々は親切だなと感じました。2回目は、独立後の1998年に行きました。モスクワから日本映画祭の開催のために行きましたが、文化が豊かな国だと感じました。----大使としての任期中にジョージアで一番印象に残ったものは何でしたか?蒲原正義さん:2009年3月から2012年の9月までの3年半、大使として勤務していました。人の好さを感じました。付き合っていて楽しい人ばかりでした。一番の印象は、民族として、ポリフォニーやジョージア民族舞踊などもあり、芸術性が豊かだと思いました。ジョージア国立音楽院に行くと、小さい子が一生懸命音楽を学んでいました。また、ジョージア国立芸術ア.....
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内田梨沙さん ―日本人とジョージア人の交流が増えて日本語教育がさらに広まってほしいー

【プロフィール】専門職大学院で日本語教育を修了。アメリカと中国、日本の大学で日本語を教えた後、2023年から2025年までイリア国立大学に派遣される。――ジョージアに来るきっかけはなんですか?また、ジョージアに来たときの初めての印象はなんでしたか?内田梨沙さん:ジョージアに来る前から日本語教育を仕事にしていました。米国や中国で日本語を教えた後、日本の大学で5年ほど日本語教育の仕事をしていました。その時、周りの日本語教師の方々が青年海外協力隊として海外で日本語ネイティブ教師の活動をされていたのですが、私も経験を積みたいと思いました。様々な国が活動地候補としてありましたが、その中でジョージアという国に興味を持ちました。ジョージアという国について知らなかったのですが、逆に、何も分からない国・機会がなければ行かないような国だからこそ、ぜひ行って日本語教育を行いたいと思ったのがきっかけです。インターネットでもあまり多くの情報がないジョージアですが、ジョージアに到着したとき、とても綺麗な国だなと思いました。活動場所となる大学はジョージアの首都トビリシの中心に位置しているのですが、立派な建築物が周辺.....
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内田州さん ―大使館を通して人生の分岐点となる2年を過ごしたジョージアー

【プロフィール】元在ジョージア日本大使館専門調査員。→早稲田大学地域・地域間硏究機構研究院准教授。国際公共政策博士(大阪大学)。――大使館専門調査員としてジョージア(当時グルジア)赴任を選択された理由はなんですか?内田さん:大使館専門調査員は、第2または第3希望まで赴任先を選択することができたのですが、ジョージアだけを赴任先として選択しました。ジョージアには行ったこともありませんでしたし、言葉も分からないままでしたが、ジョージアを希望赴任先として選びました。私の人生の生き方として、「これ」と思ったら、一転集中して全力を尽くすようにしています。――ジョージアだけを一点集中で選択されたのはなぜだったのですか?内田さん:昔の話からさせて頂くと、国際協力や平和構築の仕事をしたいと思うようになった原点は、阪神淡路大震災でした。当時は中学生でしたが、スイスの救助隊など遠くの国から助けに来るのを見て、自分も将来そのような仕事をしたいと思ったのが始まりでした。その後、2008年のジョージア(当時グルジア)での紛争が起きたとき、私は大学院にいました。大学院では、紛争に関してロールプレイを行い、私は当時の.....
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タティア・メマルニシヴィリさん ―日本語教育と翻訳がいきがいになっていたー

【プロフィール】日本語講師 / 翻訳者。2007年にトビリシアジア・アフリカ研究所(Tbilisi Institute of Asia and Africa)にて東洋文献学を修了。日本語・日本文化も勉強し、2009年からトビリシ国立大学(Tbilisi State University)にて日本語講師として勤務。学生時代に日本文学に魅了され、特に谷崎潤一郎と川端康成の作品に惹かれた。最初に翻訳した本は三島由紀夫の『仮面の告白』で、2019年に文学賞「リテラ」のファイナリストに選出。――日本語を勉強しようと思ったきっかけはなんですか?いつごろから日本語を勉強し始めましたか?タティア・メマルニシヴィリさん :実はもともと日本に特別な関心があったわけではありませんでした。ジャーナリストになりたかったため、東洋文献学を学ぶためトビリシアジア・アフリカ研究所(Tbilisi Institute of Asia and Africa)に入った際に、ジャーナリズムや言語学の授業の他にアジアの言語を選択する必要がありました。勉強する言語のリストがあり中国語、韓国語、アラビア語、ペルシア語などが選択肢に.....
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碓井俊樹さんーアザラシヴィリさんとジョージアの繋がりー

【プロフィール】東京藝術大学附属音楽高等学校、同大学を経て、ザルツブルク・モーツァルテウム芸術大学で研鑽を積む。ヴィオッティ国際音楽コンクール入賞、オランダミュージックセッションにてドネムス演奏賞、ウィーン現代前衛芸術団体TAMAMUより現代芸術特別賞、カントゥ国際音楽コンクール優勝など多くの受賞歴を誇る。近年では平成29年度外務大臣表彰、第3回種田山頭火賞を受賞。ジョージア・シグナギ市より名誉市民称号を授与される。ジョージアの伝説的作曲家、ヴァジャ アザラシヴィリ氏より全世界での著作権管理を全権委任されている。尚美学園大学客員准教授、上野学園大学客員教授を歴任し、横浜シンフォニエッタ代表理事、日本香港音楽協会理事長(香港)を務める。後進の育成においても数多くのピアニスト、国際コンクール入賞者を輩出――ジョージアという国を知るきっかけは何でしたか? 碓井俊樹さん:小中学校の時から、社会の勉強で「グルジア軍用道路」というワードを勉強してから、なぜかずっと気になっていました。そして友人がジョージアに転勤したと連絡があり、ならばグルジア軍用道路を見てみたいな というのがジョージアという国との.....
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稲場マリアムさんー日本で家庭とキャリアを築き、京都からジョージアをPRするー

【プロフィール】 京都在住。文部科学省プログラムで同志社大学へ留学。高台寺での巫女の仕事や大阪のジョージア料理レストラン、京都経済センターなどでキャリアを積む。その間に日本人男性と結婚し、娘モアナさんも授かる。――日本語を学習するきっかけはなんでしたか?MEXT(文部科学省の留学プログラム)で同志社大学に留学をされましたが、留学試験はどうでしたか?稲場マリアムさん:4年間、トビリシ自由大学で日本語を主専攻として学習していました。卒業した後に、1年ほど中古車を扱う会社で仕事をしていました。日本から中古車を購入し、私が車の状態などを調べたりしていました。そのあとに、MEXT研究生プログラムに挑戦しようと思いました。日本語と英語の試験、また面接などがありました。面接では緊張しましたが、自信をもって答えることができたと思います。無事合格し、3年間日本へ留学行くことが決まりました。当時は、留学先として希望する大学院には自分で書類を送る必要があったのですが、できるだけ多くの大学院に送っていたのを覚えています。その内、5つの大学院から返答があり、留学先となる同志社大学からも返事がありました。実は東京.....
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はらだ たけひでさんーピロスマニから始まったジョージアへの愛を映画祭を通じて伝えるー

【プロフィール】 ジョージア映画祭主宰。絵本作家。1974年から約45年間、東京・岩波ホールで世界の名作映画の上映に携わる。『グルジア映画への旅』、『放浪の画家ニコ・ピロスマニ』、『放浪の聖画家ピロスマニ』などを著作。2022年にジョージア政府から文化功労賞が授与。―― ジョージア映画に関心を持たれたきっかけはなんですか?はらだ たけひでさん: 1974年の暮れから2019年2月に定年退職するまで、2022年7月末に閉館してもうなくなってしまった岩波ホールという映画館で仕事をしていました。岩波ホールでは世界60か国の名作映画を発掘、上映するという仕事に携わりました。僕が仕事を始めたその時代は、カウンターカルチャーが日本を含め世界で盛んでした。また七十年安保闘争もありましたので、大学もほとんど閉鎖状態で、学校へもほとんど行かず自分で勉強しようと様々なところへ自分で行き経験を積むようにしていました。僕が、岩波ホールに入ったのは20歳のときでした。当時は岩波ホールの草創期でしたので、非常に忙しく一生懸命に映画の紹介を中心に仕事をしていました。僕は、あちこち放浪したり、絵を描いたりすることが好.....
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児島康宏さんージョージアと関わり約30年、翻訳を通してジョージア文化を紹介したいー

【プロフィール】児島康宏(こじま・やすひろ) トビリシ在住。 東京大学卒(言語学)。日本学術振興会特別研究員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所特任研究員、在ジョージア日本国大使館専門調査員などを務める。ジョージア映画祭では、映画の翻訳・字幕作成を手がける。―― 最初にジョージアに興味を持ったきっかけは何でしたか?児島康宏さん:ジョージアとジョージア語に興味を持ち始めたのが大学3年生の時でした。東京大学では1年と2年の時が教養学科で3年生になるときに専門学科に入るのですが、以前から興味があった言語学科に入って、色々な授業を受けているうちにコーカサス諸語やジョージア語などの話を聞くことがありました。あと、チェコ語の専門家の千野栄一先生の言語学に関するエッセイの中で、ジョージア語に関してもよく取り上げられていました。こういったものの影響が大きかったですね。―― 大学3年生の時からご関心を持たれるようになったのですね。児島康宏さん:大学4年生になって卒論を書くことになるんですが、ジョージア語を勉強しようと思い4年生になった春休みのときに、アロンソン(Howard Aronson) .....
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