内田州さん ―大使館を通して人生の分岐点となる2年を過ごしたジョージアー

【プロフィール】

元在ジョージア日本大使館専門調査員。→早稲田大学地域・地域間硏究機構研究院准教授。国際公共政策博士(大阪大学)。

――大使館専門調査員としてジョージア(当時グルジア)赴任を選択された理由はなんですか?

内田さん:

大使館専門調査員は、第2または第3希望まで赴任先を選択することができたのですが、ジョージアだけを赴任先として選択しました。ジョージアには行ったこともありませんでしたし、言葉も分からないままでしたが、ジョージアを希望赴任先として選びました。私の人生の生き方として、「これ」と思ったら、一転集中して全力を尽くすようにしています。

――ジョージアだけを一点集中で選択されたのはなぜだったのですか?

内田さん:

昔の話からさせて頂くと、国際協力や平和構築の仕事をしたいと思うようになった原点は、阪神淡路大震災でした。当時は中学生でしたが、スイスの救助隊など遠くの国から助けに来るのを見て、自分も将来そのような仕事をしたいと思ったのが始まりでした。その後、2008年のジョージア(当時グルジア)での紛争が起きたとき、私は大学院にいました。大学院では、紛争に関してロールプレイを行い、私は当時のサーカシヴィリ大統領の役をすることになったのですが、その時にジョージアという国の存在を知りました。2010年に公募を探しているときに、現場で働くことを希望していたのですが、紛争経験国・ポストコンフリクトの場所で仕事をしたいと考えていました。その時に偶然、在外公館専門調査員のポストとしてジョージアもあったのです。実は、気後れしていいました。大使館専門調査員は、自分には無理なのではないかと思っていたんですね。ですが、まずはやってみようと思い、一生懸命準備をしたら合格しました。

――ジョージアに初めて来た時の印象はなんでしたか?

内田さん:

2011年2月にジョージアに行きました。雪が降っていました。自由広場の近くにあるホテルに宿泊していました。真っ暗で雪も降っているし、自由広場に出ても、ルスタヴェリ通りなどの道があるのですが、どこに何があるのかも分からないほど真っ暗でした。また、歩いている男性らは、ジーンズに革ジャケット、黒の靴で、まったく皆同じ格好でした。皆が無表情でした。すごいところに来てしまった、本当に2年間仕事をしながら暮らしていけるのかと思ったのが第一印象でした。

――在外公館専門調査員としての2年間の任期で一番の印象に残ったものはなんですか?

内田さん:

2年間は非常に濃密でした。今も、人生の中で最も濃密だった2年間だったと思っています。当時の蒲原大使にも良くしていただきました。2年間の最後の時期には、大臣や各国大使にアポを取り会いに行くということもしていました。信頼していただき、様々なことをさせて頂きました。その中でも一番に印象に残ったものが2つあります。1つ目は、議会選挙でした。2つ目は、私の離任の時に、当時のシェラトン・ホテルのボールルームを貸し切ってお別れ会を行ってくれたのですが、各国の外交官が100人以上来てくれたんですね。イギリスの外交官の1人が、「これはあなたへのクレジットだ。皆がお別れに来てくれるというのは、あなたが2年間よく頑張り、あなたへの信用と信頼を表しているんだ。」と言ってもらったときは非常に嬉しく思いました。

―― 博士課程はジョージアに関して論文を書かれていますが、ジョージアに赴任される前から博士論文はジョージアに関して書こうと考えられていたのですか?

内田さん:

いえ、ジョージアに行ってから考えるようになりました。2年間で様々な情報を得ることができ、何らかの形でまとめたいと思いました。そのまま本にするよりも、博士論文として書けば学位も取れるので、学者の道も開けると考えたのがきっかけです。赴任して2年目に入ってから博士課程について意識するようになりました。

――ジョージアでの2年間が今後アカデミックの世界へ進むための分岐点になったということですね。

内田さん:

間違いありません。私の人生の分岐点でした。ジョージアに行く前にこうなるとは思いもしませんでした。人生は不思議なもので、やってみないとわからないです。ですので、ジョージアに行ってよかったと思っていますし、その後も、EUの資金で研究ができ、ハーバード大学に行くことができました。ジョージアでの2年間が自分の中で非常に良い成功体験になっています。それはキャリアというレベルではなく、何か恐怖があっても乗り越えてチャレンジしてみたら学ぶことがあるのだということを知ることができたという意味での、人生の中での成功体験でした。それ以降はあらゆることにチャレンジすることに臆することがなくなりました。もちろんリスクもありますし、失敗することもありますが、リスクを承知してもチャレンジすることの大切さを学びました。そういった意味で人生が変わりました。

――様々な論文や書籍においてジョージアに関して執筆されています。アカデミックな観点からジョージアのどういった点に関心を引かれるのでしょうか?

内田さん:

ジョージアは、ロシアとEUの大きな勢力圏の間にあり、リアリズム的に考えると「真空」なんですね。その間の綱引きによってどっち側に寄るか常に振れるという環境に置かれている国はあまりありません。それがジョージアの難しさであり、研究の観点からは言うと興味深さがあるものです。また、ジョージア人の国民性もあると思います。言葉でどう表現すればよいのかわからないのですが、ジョージアで議会選挙が行われたとき、クタイシの近くの村に行ったのですが、村のおばあさんが選挙用のジャケットを着て、一生懸命に民主的な選挙をしようとされる姿を見たのです。その時、「この国の未来はまだまだ明るい」と思いました。感情的になることも多いですが、それでも愛おしい人たちであり、そのような部分もジョージアの魅力の1つでした。

――現在、大学ではジョージアに関して日本の学生にどのようなことをお話しされていますか?

内田さん:

ジョージアだけに関する授業はありませんが、ケーススタディとして扱うことはあります。社会における今の関心はウクライナですが、そこから波及して2008年のジョージア紛争、2014年のクリミア併合、2022年のロシアによるウクライナ侵攻のつながりの話をします。ジョージアのような国を研究する際はリアリズムに徹することが重要であると思っています。EUでは、リベラルな世界で規範を重んじ、Normative Powerを主張し、相互依存を深めて、人権と民主主義を基盤にしています。先進国ではリベラルな方向に話が行きがちです。リベラルは悪くありませんし、将来的には目指すべきですが、いきなり土壌がないところにリベラルなものを持ち込むと社会の秩序が崩れます。ですので、リアリズムに基づいて分析することが大切ですし、社会が成熟してから徐々にリベラルな世界へ向かっていくと思います。リアリズムに基づいて物事を見ると、逆に日本を見るときに役に立つと思います。

――ジョージアまたはコーカサスを中心に研究を進めようと考えている人に対して何かアドバイスなどはありますか?

内田さん:

地域研究なのか、国際関係の研究なのかでアプローチは異なるかと思いますが、いずれにしても実際に現場に行くことが重要だということは強調したいです。どうしても学者は研究室に籠って本を読んで本を書くということになりがちです。ですが、現地に行き、現地の人と交流し、ジョージアに携わっている人々と意見交換をすることで分かることがたくさんあります。また、言葉には出てこないが、肌感覚で分かることもたくさんあると思います。Yesと言っているのに、顔はNoということもあります。ですので、研究室を飛び出し、現場に行くということが重要であると思います。理論(Theory)と実践(Practice)の両方が重要だと思います。

――ジョージアは内田さんにとって人生の分岐点となった大切な場所でした。今後、ジョージアとどのような形で繋がっていきたいとお考えですか?

内田さん:

一生ジョージアとの関係は持ち続けたいと思っています。具体的にどのようにできるかというのは分かりません。しかし、ウクライナに対するロシア侵攻から、TBSラジオに出演させて頂いたり、法務省から意見を求められることがありました。ジョージアの専門家としてでも、ウクライナやコーカサス地域を含めた大きな意味で広域東ヨーロッパの流れを聞きたいという人々はいます。そのような方々に話をすることで貢献をしていきたいと思います。毎年帰れるのであれば、帰りたいと思います。日本でのジョージアの認知度を上げるという意味での貢献はできるかと思います。ジョージアの政権に対しては辛辣なこともいいます。必ずしもジョージアを礼賛しているわけではありません。しかし、民主化をしてより良い国になるように、事実に基づいて情報提供をしていくという意味では何かしらの貢献になるかもしれません。外国人の視点としてジョージア人にとっても役に立てばいいと思います。